FEIDA 国際癌病協会関西支部 ガンと闘う人たちを支える。
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利用者の声
「天仙液」はあらゆるガンのご病気の方、その他のご病気の方や健康な方にもお飲み頂いております。
 ここでは、お寄せ頂いた数々の体験談の中から、13名の方をご紹介致します。他の体験談をお読みになりたい方、ご興味のある方は、関連書籍も出版されておりますので、どうぞご覧下さい。

Flavio Silva (メキシコ ラジオ局パーソナリティー・53歳)
メキシコのラジオステーションホストでパーソナリティーとして活躍されているFlavio Silvaさん53歳。当アメリカ支部の現地取材に快く引き受けていただきました。

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久禮 文博(東京都・会社員・59歳)
★天仙液の体験談の本を出版されています
1997年8月、「胃ガン」、しかも「進行中」と診断が下り、手術を受けました。2年後には腹部大動脈周囲のリンパ節へ転移し、「余命半年から1年」との宣告を受けました。 そこで、病院のと天仙液を併用し、ガンの克服を目指して、治療を開始しました。その結果、3ヵ月後には腫瘍の縮小が確認され、今年3月末には「さらに縮小中」という願ってもない朗報を得ることが出来ました。
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木曽原 三千年(三重県・会社員・69歳)
「実は、父さんはあと半年の命だって、医者から言われていたんだよ」 最近、元気になった私に、息子がしみじみと語りました。 場所は右肺の一番下の動脈近く、腫瘍の大きさは7×6cm、すでに第V期でした。1999年3月に手術をしたものの、取り切れなかったため、4月から、放射線治療を加えました。
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佐藤 健(岩手県・75歳)
私は75歳ですが、健康には自信があり、趣味の囲碁(5段)はどこかで囲碁大会があるたびにバイクでかけつけて参加しておりました。それでも毎年、町が実施する定期検診には、かかさず受診しており総合判定は毎年Aで健康には何の不安もありませんでした。 昨年の6月にあった定期検診も気軽に受診し、その結果、例えば悪くいっても以前多かったことのある中性脂肪が多少多めだという程度の事であろうと軽く考えておりました。
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掛川 なぎさ(長野県・英会話教師)
4年ほど前の定期検査でガンに変化していると告知を受けたのです。主治医の先生から告げられた時は、はかりしれないほどのショックで、頭の中が真っ白になりました。まさか自分がガンになるなんて・・・。その頃は、自分で始めた英会話教室も忙しかったこともあるのですが、何しろ小さな子供をもつ母親としてどうしたらよいのか分らず、泣いてばかりの日々でした。
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木脇 教道(79歳)
検査の結果、主治医からは、進行性の食道ガン末期で、大きさは5.5cmと告げられました。告知を受けた時は、非常にショックで目の前が真っ暗になり、奈落の底に落ちた思いでした。私の人生もこれで終わりかと、淋しい気持ちでいっぱいでした。同時に、妻や子供達の事、家のことなど様々な事が脳裏をかけめぐり、一抹の淋しさがありました。
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米田 厚彦(東京都・会社員・64歳)
この5年間に受けた2度の手術で私の体はすっかりやせ衰え、体力が落ちたことを自覚しました。それに「肺の手術ほど術後が辛いものはない」と周囲の人たちから聞かされていた通り、術後の身体の痛みたるや聞きしにまさるもの。退院から約1ヵ月半ほどは、寝ても起きていても胸と背中の激しい痛みから開放されることはなかったのです。
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山本 正一(北海道・67歳)
2001年12月、北海道苫小牧の病院に入院。前立腺肥大症ということで<前立腺高温度加温治療>を行いました。と同時に、直腸を通して針を刺し血のかたまりを16カ所取り、ガン細胞が存在している事がわかりました。検査の結果は前立腺ガンの第I期もしくは第U期と言われました。
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イディス・シー(アメリカ・サンフランシスコ市・主婦・49歳)

1997年10月、生理の乱れと倦怠感が続いたため、婦人科で検査したところ、「子宮ガン」と宣告されました。 8年前、夫を一人残し、子どもとともにアメリカに渡ったのですが、その生活にも慣れてきたころでした。夫の母がガンで亡くなったため、日ごろから食べ物には気を遣い、運動も欠かさず行うなど、規則正しい生活を心がけてきたのに「なぜ、私がガンに!」検査結果を電話口で聞いた時は、いきなり雷が落ちたようなショックを受けました。
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馬 美玉(タイ・バンコク市・主婦・46歳)
喉の調子がおかしいので病院で診察してもらったところ、医師が「軽い炎症です。」と炎症を抑える飲み薬を渡してくれました。その後も、喉の不快感は消えなかったのですが、子育てや夫の世話にかまけて、再度検査することはしませんでした。それが、喉のことなどすっかり忘れてしまった1995年9月のこと、首のあたりが蚊にさされたようにかゆくなり、我慢できずにひっかいたところ、皮膚が破れて出血してしまいました。しかし、血がいつまでも止まらないので病院に行くと、リンパ腫であると診断されたのです。翌月には、手術で三ヶ所あったリンパ腫のうち二つは切除したのですが、もう一つは大動脈のそばということで、手術は見送られました。
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Thidarat Munploy(タイ・教師・47歳)

疲労や眩暈、血痰が出始め、1996年11月24日に鼻腔ガンU期と診断。1997年1月10日より37回の放射線治療を受けましたが、顔や首の皮膚が黒化し、体重は59sから41sに減少。更に唾液腺両側のリンパ節が全焼し、唾液が出ない為に口が渇き大変な苦痛でした。
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WAN RABIATUL(マレーシア・13歳)

1998年10月、左足大腿部に腫れ。当時は陸上に参加しており運動障害だと思い、診療所の抗生物質を服用するものの回復せず、転院・再検査で骨ガンと告知されました。手術前・後に各3回の治療を受ける予定でしたが、術前の治療の副作用で、毛髪・眉毛・睫毛も抜け、眼部も光に敏感になり、かつらとサングラスが必需品でした。
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詞詞j(台湾・71歳)
父は長年の胃病に悩み、手術も受けたため、常に飲食には注意しておりました。1995年、盲腸手術の後痛風になり、様々な治療を受けましたが、一向に治る気配はありません。
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